仔猫遊堂−こんぼどう−

パンドラの箱

パンドラの箱とは

まず「パンドラの箱」が何なのかを簡単に説明したいと思います。
 ここで述べているパンドラの箱とはギリシャ神話の一つで、 「パンドラ(人類最初の女性)」が「ゼウス(全知全能の神)」から授かった「災厄」を封じ込めた箱にまつわるお話の事です。

ゼウスはパンドラに一つの箱を渡した。
そしてその箱を渡す際にゼウスは「決して開けてはならぬ」と言った。
しかし己の好奇心を抑えきれなかったパンドラは箱を開けてしまう。
次の瞬間、箱から災厄が人間世界へと飛び出してしまった。
とても驚いたパンドラは、急いでその箱の蓋を閉めた。
すると箱の中には希望が残って居た。
故に、人は希望を持って生きる事が出来るのである。
 上記が大まかなパンドラの箱と言うお話ではないでしょうか。 「最後に希望が残った」と言うのは良い響きがします。 私はまだ幼い時分に聞かされたのですが、 話し手は「人間は希望を手にし日々を生きている」と伝えたかったのではないでしょうか。

矛盾点について

とても良いお話ですが、先のお話だと矛盾が生じてしまう事はお気付きでしょうか?
 災厄が箱から出てしまったが為に人類は「悲嘆・嫉妬・恐怖・疑惑・疫病」等を持つ事になったと言っているので、 箱の中に残ってしまった希望は持つ事ができなかったと言う事になるのではないでしょうか。 「箱から出る=人類に広がる」と解釈すると「箱に残る=人類に広まらない」となってしまいます。

一体これはどう言う事なのでしょう? 確かに人類はまだ見ぬ未来へ希望を持っています。 そして災厄も持っています。 もとより、なぜ神はその様な箱をパンドラに渡したのでしょう?

箱の存在

自分なりに色々と調べてみました。 今はWikipediaでほとんどの事が分ってしまう時代ではありますが‥‥。
 それはさて置き、ゼウスがパンドラに箱を渡した理由は「復讐の為」であった様です。 復讐が適切な言い方なのかどうか少々疑問ではありますが、 何にせよ、それはパンドラ個人に向けられたものではありません。 恐らく全人類へだと思います。 人類はゼウスの怒りを買ってしまった訳です。

なぜその様な怒りを買ってしまったのか。

それは「プロメテウス」と言う名の青年から「火」を貰ってしまったからだそうです。 これだけではよく分かりませんよね。
 話によると、ゼウスはプロメテウスに「火だけは人類に贈るな」と強く言っていましたが、人類を不憫に思い贈ってしまった様なのです。 それを知り怒り狂ったゼウスは、不老不死であるプロメテウスを山に磔(はりつけ)にし鷹に肝臓を喰わせ続け、 人類にはパンドラと言う女性を創り出し箱を持たせ送った、もとい、贈った訳です。
 ギリシャの神々は怖いですね。

そこで箱に残っていたと言われる希望なのですが、そんな怖い神が復讐の為に渡した箱に希望を入れている事自体が変だとは思いませんか? よって、箱に入っていた物は災厄の内の一つなのではないかと考えられます。 しかもそれは「人類に降りかかる事のなかった災厄」であると言う事。
 人類に降りかかる事のなかった物ですから、それが一体何だったのかを知るのは難しい事だと思います。 それ故に、様々な憶測が飛び交っている様です。 (原文には何が残ったのか明確に記されていなかったと言う事でしょうか‥‥)

考察

すでに多くの説があるこのお話。 ここで新説を生み出す事は私の頭では無理なので、 多くの説の中から一番納得した説を私の考えと共に記させて頂きます。

私が思うに、箱に残った物は「読み手にとっては希望に似た良い物」だったのではないでしょうか。 ですから、様々な解釈が生まれてしまうのでしょう。 どちらともとれる言葉と言うものは、読み手・聞き手によって全く違った意味になってしまうものです。
 それを踏まえ考えた結果、先を見通す事ができる力‥‥ つまり「予知能力」だったのではないだろうか、と言う結論に至りました。
 人間は己の将来が分からないからこそ、夢を見て努力する事ができる。 言い換えると、己にどんな未来が待っているのか分ってしまうと、 何かを成す意欲がなくなってしまうかもしれません。 人は生まれた直後から死ぬ運命を背負っていますから。 ゼウスは人類から、何かを起こす原動力を奪いたかったのかもしれませんね。
 しかしながら、人によっては予知能力が魅力的な物に感じるかもしれません。 事前に危険が分かれば不幸を回避する事が出来ると考える事も出来ます。 (しかし私は「タイムパラドックス」の関係上、それは起こりえないと考えています)

結局のところ、「希望が残った」と言うのはあながち間違いや矛盾ではないのかもしれません。 予知能力を希望とする説は勿論の事、予知能力と言う災厄が残ったとする説にしても、 だからこそ希望を持って生きる事ができるのだから、人類には希望が残ったのです。

別の説

原文だとパンドラの箱ではなくパンドラの「壷」であるらしい。

ゼウスはプロメテウスに火を盗まれた仕返しの為、他の神々と一緒にパンドラという名の女性を作った。
女神から「美」を貰った為、パンドラはとても美しい外見を持っている。
それとは裏腹に、内には「好奇心」や「犬の心」等を植え付けられ醜く歪んでいた。
そうして人間世界へと贈られた初の女性パンドラを、プロメテウスの弟エピメテウスは一目で好きになってしまう。
エピメテウスは兄プロメテウスから「ゼウスからの贈り物は絶対に受け取るな」と言われていたにも関わらず、パンドラの虜となり妻に迎えてしまう。
やがて生まれて来たパンドラの子達は、蓄えを次々と喰らいエピメテウスの生活を壊していった。
そんなある日、パンドラはエピメテウスから「絶対に開けるな」と言われていた壷を、神から与えられた好奇心によって開けてしまう。
すると中からは様々な災厄が飛び出していった。
瞬間、世界に災厄は広まってしまった。
しかし、壷の底には希望が残っていた。
 先で述べたお話と少し違っています。 こちらの場合、災厄が入った物をゼウスが用意した訳ではない様です。 元から家にあったのですね。 なぜその様な物を持っていたのかは謎です。
 この場合は希望が入っていたとしてもあまり変ではない気がします。 どう言った経緯で手に入れた物なのか分かりませんからね。

そこで壷の中身についてですが、「希望=災厄の一つ」とする者や「災厄=希望から湧いたカビ」とする者もいる様です。
 前者が言うには、「人は希望を持つから絶望する」との事。 確かに一理あると思います。 けれども、希望があるから例え絶望したとしてもやり直せますよね。
 次に後者が言うには、「元は希望を閉じ込めた壷で、時が経ち希望からカビの様に災厄が生まれた」との事。 これに関しては私の頭ではよく理解出来ませんでした。 前者と似た様な意味なのでしょうか。

最後に

昔作られたお話ですから、真実を知る事は難しいです。 読み手によってとらえ方は異なりますし、そもそも私は原文を読めませんから。
 ここまで長々と書きましたが、神話や童話や御伽噺なんて物は己の好きな様に解釈して良いのやもしれません。

おまけ

これも定かではありませんが、 本の最初にあるプロローグは「先に物事を考えてから行動する人」という意味があるプロメテウスからとり、 最後にあるエピローグは「行動した後で考える人」という意味があるエピメテウスからとったとの事です。

記事一覧